「母の日が始まった理由は?」
「どうして、5月第2日曜日にカーネーションを贈るの?」
「カーネーション以外の花を贈るのはダメなの?」
5月第2日曜日は母の日。綺麗なお花と共に、日頃の感謝を伝える日です。母の日に贈る花といえばカーネーションが1番に思いつきますが「どうしてカーネーションを贈るようになったの?」と不思議に思ったことはありませんか?
結論から話すと、母の日の始まりとなるエピソードにカーネーションが登場するからなのですが、
現代の赤やピンクのカーネーションとは意味が異なるようです。
この記事では、母の日の由来となるエピソードと「母の日=カーネーション」が習慣として今でも続いている理由を紹介していきます。
- 母の日にカーネーションを贈るようになった訳
- 母の日=カーネーションが今も続いている理由
母の日の始まりと「母の日=カーネーション」が定着した理由

母の日の始まり
母の日は1910年にアメリカのウェストバージニア州で始まり、少しずつアメリカ全土に広まっていきました。
「5月の第2日曜日は母の日」「母の日にはカーネーションを贈る」この2つの風習が広まった背景には、アメリカのアンナ・ジャービス氏の働きかけがあったといわれています。
アンナの母親であるアン・ジャービス氏は南北戦争において「マザーズデー・ウォーク・クラブ」を立ち上げ負傷兵のケアに尽力した人物として知られています。
1907年5月アンの死後、娘のアンナは亡き母親を敬い偲ぶ会を教会で開き、そこで母親の好きだった白のカーネーションを祭壇に手向け、参加者達にも配ったとされています。
アンナとその友人たちの間で提唱された「年に1度母親に感謝する」という想いは女性たちの社会活動の一環として瞬く間に広がっていき、当時の大統領ウッドロウ・ウィルソン氏の元にも届きました。
1914年には、正式に5月の第2日曜日が「母親のための祝日」として制定されています。
本来は、亡き母に白のカーネーションを贈るものでしたが、やがて白いカーネーションは
「亡くなった母親のための花」として、赤いカーネーションは「生きている母親のための花」として贈られるようになったとされています。
日本初の母の日は青山学院に関わる3人の女宣教師
「母の日」を日本に紹介し、定着させたのは、明治から昭和初期に青山学院に関わった3人の女性宣教師でした。
1881年から1884年まで、青山学院の源流となった海岸女学校の第3代校長を務めた
メアリー・J・ホルブルック(1852~1912)は、アメリカの「母親のための祝日」の風習に触れ、
これを日本に広めようと考えます。
1911年から1915年まで青山女学院で教鞭を執ったマイラ・E・ドレーパー(1859~1935)は、メアリー・J・ホルブルックの遺志を受け継ぎ、
1913年に日本で最初の「母の日」行事を行いました。
その後、1900年から1902年まで青山女学院院長を務めたファニー・G・ウィルソン(1868~1957)が日本各界の著名人に働きかけた結果、
1932年に日本で初めて「母の日」が公式行事として行われたのです。
【参考:日本で初めて「母の日」を広めた青山学院が「青学発『母の日』」企画を盛り上げる — 日比谷花壇、静岡県河津町とのコラボ企画も2017/04/03大学プレスセンター】
母の日は3月6日だった!?日本に広まったのは森永製菓のおかげ
日本では、1931年「大日本連合婦人会」(現在のPTA)の結成に伴い、
皇后の誕生日であった3月6日が「母の日」として制定されました。
しかし、母の日の風習は一部の地域やキリスト教の団体を中心に広がり、庶民の習慣になることはありませんでした。
森永製菓は、母の日を広げたいとの想いから、1936年に「森永母を讃へる会」を結成。そして、森永製菓が各団体に働きかけ、全国統一の「母の日中央委員会」が設立。
森永製菓を筆頭に各団体が「母の日」のイベントを積極的に行い、新聞に大きく取り上げられたことで日本全土に広がっていきました。
戦後の1946年ごろからアメリカにならい、5月の第2日曜日を「母の日」として祝うようになったとされています。
【出典:KAZUYO歴史の玉手箱~第5回~「母の日の由来と森永製菓」2024/04/24エンゼルPLUS】
母の日=カーネーションが現代まで残り続ける理由
母の日を広げる活動をする団体にとっては「母親に感謝を伝える」ことを広めたかったので、カーネーションはおまけにすぎませんでした。
しかし現代では「母の日=カーネーション」の考えが強いですが、一体なぜでしょうか?
始めて、カーネーションを母の日の象徴として販売したのは日比谷花壇です。1872年造園業からスタートした日比谷花壇は花の販売事業に力を入れており、母の日とカーネーションを結びつける活動に尽力しました。
当時、花言葉という概念が国内には定着しており、赤いカーネーションには「母への愛」というぴったりの花言葉があったことも「母の日=カーネーション」が強く結びついた理由とされています。
森永製菓が母の日の認知拡大に尽力した一方で、カーネーションと母の日の結びつきを広げる活動は、日比谷花壇を筆頭に花業界によって推進されました。
現代でも使われるカーネーションの花言葉

現代の私たちのほとんどは母の日の元となるエピソードを知りません。しかし、母の日にカーネーションを贈ることを当たり前に感じるのは、花を販売する企業たちがカーネーションには母の日にぴったりの花言葉があると昔から宣伝していたことが大きい要因でしょう。
カーネーションには多くの種類があり、その色によって花言葉が異なります。
色 | 花言葉 |
---|---|
赤 | 母への愛、深い愛、感動 |
ピンク | 感謝、温かな愛情、上品・気品 |
白 | 純粋な愛、尊敬、追憶 |
黄色 | 軽蔑、嫉妬、友情 |
オレンジ | 純粋な愛、熱愛、欲望 |
紫 | 気品、誇り、永遠の哀悼 |
青(染色) | 永遠の幸福 |
緑(染色) | 癒し、純粋な愛 |
カーネーションには愛や感謝という意味の花言葉があり、特に赤色は「母への愛」、ピンクは「感謝」と母の日にぴったりの花言葉を持っています。
黄色は「友情」のほかにも「軽蔑、嫉妬」の花言葉を持つので注意が必要です。
まとめ
- 母の日はアメリカの「母親のための祝日」の風習が日本に伝わったもの
- 最初は故人の母の手向けに白いカーネーションが使われていた
- 森永製菓の母の日行事が大々的に新聞に取り上げられ日本全土に広まっていった
- 現代でも母の日にぴったりの花言葉を持つとしてカーネーションが使われている
母の日はもともとアメリカの風習だったなんて驚きですね。日本へ伝わっても一部の地域でしか行われなかった行事を積極的に広めたのは、お菓子メーカーの森永製菓でした。
さらに、カーネーションの花言葉に目をつけた日比谷花壇などの花業界の販促によって「母の日=カーネーションが」現代にも残る季節行事となったのです。